「加賀ロリプロジェクト」でイメージキャラクターを務める「溶ちゃま」です。
溶ちゃまのモチーフとなった基とは、12代目加賀藩主の前田斉泰の正式な奥である溶姫(ようひめ)とされていて加賀ロリプロジェクトにピッタリなイメージキャラクターとして描かれています。
そのキャラクター設定から、可愛らしいロリータファッション系の洋服から、萌え系の表情まで加賀ロリプロジェクトにはピッタリなイメージです!
さて溶ちゃまは、歴史上の実際の人物をモチーフとしてデザインされたのかと改めて知る方も多いかもしれません。
実際に存在していた溶姫とはどの様な人物であったのかをご紹介していきたいと思います!
溶姫は実際に、ようひめ、またはやすひめとも呼ばれることがあるそうで、1813年4月27日生まれ、1868年6月20日に没とされています。
生まれとしては、11代将軍の徳川家斉の娘として江戸城大奥にて誕生していることから、当時では、将軍やその家族のために奉公するような立場として生まれ生涯を送ることが決められていたみたいなものですね。
そして、1823年に加賀藩主の前田斉泰との婚約が決まり、1827年には実際の婚礼が行われたとあります。
現代では考えられませんが、10歳で婚約し14歳で結婚してしまうなんてと思われるかもしれませんが、当時はそんなに珍しいことではありませんでした。
ちなみに、旦那の前田斉泰は1811年生まれですので、12歳で婚約、16歳で結婚というわけです。
そして、有名な話として二人の輿入れするにあたって建設されたのが、現在の東京大学赤門でありました。
結婚後は、溶姫が加賀藩へ馴染めるように努力をしたそうなのですが、伝統ある加賀でのしきたりや大奥たちとの関係に非常に苦労したそうです。
しかしながら、婚礼から3年が経って、初めての男の子が生まれ、三人の男児を出産しました。
そんなこんなで夫婦共に円満と見えたのですが、実際にはそうでもなかったらしく、加賀藩と江戸との関係の悪化や、溶姫が江戸から引き連れてきた侍女たちとの関係が良くないことなど、多くの問題は抱えていたそうなのです。
斉泰は一時期離婚も考えるほど悩んでいました。そこで訪れたのが戊辰戦争です。
幕府を完全に消滅させようと江戸で騒動になり、江戸は危ないということから加賀に戻ることを決断しました。
最後に待ち受けていたのは、加賀から徳川家のお供と疑われた溶姫は加賀藩に引き返されてしまい、加賀に入ることは許されませんでした。
そこで、そのまま亡くなってしまうという運命を辿ってしまうのです。
彼女の人生がどの様なものであったのか、どの様な性格であったのかというのは分かるはずがなく、このストーリーのみを知ってしまうと、何だか出身地が違うことで待遇の差があるかのように感じてしまいます。
そんな歴史的人物の溶姫が、現在で溶ちゃまとして思いっきり活躍してくれたら良いですね!